意外すぎる弱点だった

作品内における怪物について

ゾンビなどで登場する敵はゾンビだが、初期作のゾンビではどうしてゾンビが発生したのかと調べてみるとその詳細は語られていません。色々と説は考えられますが、やはり後から来た新種のウィルスにより死者を生き返らせてしまうという病原菌のせいと考えられます。

それに対して今作におけるトリフィドと呼ばれる植物はどうして発生したのかという問題も気になる。ちなみに原作となった作品と映像作品ではその詳細が少しだけ異なっている。違いはというと、

原作:食用に栽培していたものが、彗星飛来により変異した

映画:流星に乗ってきた宇宙から飛来した

となっている。

原作となった作品ではトリフィドはむしろ人間が食べるように栽培していたというのです。それはそれで奇っ怪な設定ですが、彗星の飛来により何かしらの変異を遂げて人間を襲うようになった、といったところか。それとも仲間たちが美味しく召し上がられていたところを見て、いつか復讐する機会を虎視眈々と狙っていたということなのだろうか。そうなると以前から植物には意識が存在していたという事になる。

考えだしたらキリがないため、原作では彗星を利用して地球に降下したところ都合よく食べごろなものが沢山歩いていたので食べることにした、といった感じに映画では設定が変更されている。まるでバイキングを楽しむかのように人間を捕食していく植物の食べる姿は、不謹慎だが爽快と感じる瞬間すらある。

生存者達の行動

この世界では彗星によって人類の大半が失明してしまい、盲人となった人は無残に食されてしまい、健常者は何とか生き残ろうと必死に逃げ延びていた。この作品において核となるのは3つの視点で、その中でも積極的に事態を打開しようとしたのは灯台で暮らしていた生物学者とその妻でしょう。迫り来る植物の魔の手を何とか持てる知識で撃退に成功し、絶滅させるための手段を見つけるために奮闘します。

片や別の生存グループでは盲人たちを囮にして生き残ろうとする人もいれば、目の見えない人たちを置いていくことは出来ないといった人も出てきた。どれが正しい判断か、という質問をしてくると自己防衛本能に従うのであれば誰かを見捨てても助かるという心理はごく自然なことかもしれません。それはゾンビシリーズなどにおいても当てはまり、生き残るためには誰かを犠牲にすることも厭わないというスタンスになるのが普通と言える。

植物たちの弱点

状況打開のために研究を続けていた生物学者だったが、立て篭もっていた灯台にトリフィド達が流れこむように押し寄せてきてしまい、一転して窮地に陥いってしまう。灯台の頂上部分にまで逃げ延びるも後が無くなってしまったため、やけになって消火用の海水をトリフィドにかけるのだった。するとどうだろうか、海水を掛けられたトリフィドは見る見るに溶けていき、やがて原型を留めないところまで跡形もなくなってしまったのです。

トリフィドの弱点、それは海水だったのです。怪物を殺すための手段は海水を掛けること、すぐさまこの情報は然るべき場所へと拡散されていき、やがて脅威は払拭されて平和が戻っていったところで幕引きとなります。終わり方的に見れば随分とあっさり感はあるものの、それでも終わりを描いた作品の中では悪くはないエンディングになったといえるのではないか。

終わりは呆気ない

昔の映画だからか、解決方法が見つかったら人類は無事に助かりエンディングとなっている。そこまでは良いのだが、視神経をやられて盲目となった人々がその後どうなったのか、植物たちを撃退するにしても海水を当てるためにどうしたのか、などの疑問が出てきます。

色々と追求したい部分はありますが、文明崩壊寸前にまで追い込まれた世界の混沌さは中々面白い。飛行機の操縦中にパイロットが失明して、乗客たちも目の見えない中でパニックを起こすなど、ありそうなシチュエーションと考えると、目が見えない恐怖に苛まれる中で未知の食人生物がいるというのだから、恐怖を騙るには十分だ。

先に紹介したゾンビ映画とは違って未来溢れるエンディングとなっているが、その気になればバットエンディングになっていた可能性も十分ありえる。

文明崩壊した後の世界を描いた映画特集